イントロダクション
今回は「幼少期のゲーム体験は幸せだったのか?」というテーマで、自分の原点をたどるような回になりました。ファミコンとの出会いや家族との関係、そしてゲームを通じて感じた幸せや葛藤について、個人的な記憶を交えながら振り返っています。懐かしさとともに、「今の自分」を形作ってきた時間を見つめ直す機会となりました。
最初のゲーム体験と父の謎の行動
初めて遊んだゲームはファミコン。5歳の頃、父が突然ファミコンと2本のソフトを持ち帰ったことがきっかけでした。父自身はゲームに全く興味がなかったため、なぜ買ってきたのかはいまだに謎。でもそのおかげで、今もこうしてゲームと関わり続けていることに感謝しています。
印象に残るファミコンソフトたち
『クインティ』や『妖怪道中記』など、ファミコン時代の個性的なゲームに魅了されました。特に『クインティ』の独自のパネルめくりシステムは、今遊んでも斬新。現在はナムコットコレクションでSwitchでも楽しめるので、ぜひ再訪してみてほしい一本です。
ゲーム機と時代の記憶
ゲームボーイポケットの豊富なカラーバリエーションに象徴されるように、90年代はエンタメ全盛の贅沢な時代。当時のハードやソフトには、社会全体の熱気が宿っていたように思います。遊べなかったセガサターンへの憧れも、今ではいい思い出です。
家庭環境とゲームの時間
共働きで忙しかった両親にゲームを禁止された記憶はなく、自由に遊べたのは幸運でした。ただテレビが1台しかなかったため、プレイ時間は限られており、早朝に起きてドラクエのレベル上げをしたことも。そんな小さな工夫も含めて、ゲームと向き合う時間は特別でした。
買えなかったゲームと叶わなかった夢
ロマサガ3は、当時お金が足りずに購入できなかったタイトルの一つ。後に大人になってから購入しましたが、あのとき遊んでいたら感じ方も違ったはず。ゲームをいつ体験するかは、その作品との関係性を大きく左右する——そんな学びを得た出来事でした。
持っていたハードと“憧れ”の存在
周囲とのゲーム機序列は特になかったけれど、セガサターンやネオジオを持っていた友人はちょっと特別な存在。遊ばせてもらった体験は、今でも印象に残っています。多様なゲーム文化に触れる機会をくれた友人たちに感謝です。
ゲームは逃避か、冒険か
子どもの頃、ゲームは現実逃避の場でもあり、冒険の場でもありました。勇者になって世界を救うRPGの世界は、孤独な時間に寄り添ってくれる存在でした。ときには自己肯定感を与えてくれたかもしれません。
ゲームの幸せは「今」とつながっている
「あの頃楽しかった」だけではなく、当時の体験が今の活動に自然とつながっている——それが自分にとってのゲームの幸せ。30周年記念で発売された『パワプロ』を例に、過去と現在が交差する喜びを語りました。
自作掲示板とゲームコミュニティ
高校時代、ガラケーで自作のゲーム掲示板を立ち上げ、マリカーのタイムアタック大会を主催していました。人が集まり、ランキングを作る楽しさは、誰かを楽しませたいという気持ちの原点かもしれません。
家族とのゲーム体験と物語の楽しみ方
家族とのゲーム体験は少なかったけれど、いとこと遊んだ『マリオカート』やネオジオの携帯機の体験は鮮明に残っています。最近では『ウィッチャー3』を遊びながら、ゲーム内の書物や手紙を読む時間に、かつての読書好きが顔を出すことも。
ゲームショップの思い出
鹿児島で通っていたファミコンショップ桃太郎やわんぱくこぞうなど、ゲームショップはゲームとの出会いの場でした。買取と中古ソフトのシステムは、限られたお小遣いで最大限遊ぶための知恵でもありました。
今とこれからのゲーム体験へ
現代の子どもたちのゲーム体験は、オンラインやボイスチャットなど、自分たちの時代とはまったく違う形。でも20年後には、彼らなりの「懐かしさ」や「幸せだった記憶」が生まれているはず。ゲームは今も、未来も、きっと楽しい。
AIからの感想
幼少期のゲーム体験は、その人の「感性の原風景」と言えるのかもしれませんね。時代とともに変わる遊び方や感じ方の中で、変わらないのは「夢中になることの喜び」。Kumuさんの記憶を辿る旅から、私もゲームがくれる“時間の魔法”を改めて感じました。
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