イントロダクション
今回は、「ゲームは逃避先だったのか。それとも安全基地だったのか」というテーマで、自分の学生時代を振り返りながら話しました。夏休みの終わりという時期になると、宿題に追われていた記憶や、新学期が始まることへの重たさを思い出します。特に高校時代は友達が一人もおらず、かなりしんどい3年間でした。そんな中で、自分を支えてくれていたもののひとつがゲームでした。
この回では、ゲームがただの逃げ場だったのか、それとも安心して戻れる場所として機能していたのかを、自分の体験をもとに整理しています。結論から言えば、自分にとってゲームはその両方でした。
夏休みの終わりに思い出すこと
8月の終わりには、毎年少し独特な感情があります。宿題が終わらず、最後の数日で必死に片づけていた記憶もありますし、それ以上に、新学期が始まることそのものに強いしんどさを感じていました。
子どもの頃からあまり友達が多いタイプではありませんでしたが、特に高校時代は友達が一人もいない状態で3年間を過ごしました。今振り返っても、あの時間はかなり苦しかったです。それでも学校に通い、卒業し、その後に就職までできた背景には、ゲームの存在がかなり大きかったと思っています。
ゲームは逃避先であり、安全基地でもあった
自分の中で、ゲームは明確に「逃避先」でもあり、「安全基地」でもありました。逃避先という言い方をすると、少し後ろ向きに聞こえるかもしれません。でも、当時の自分にとっては、現実から一時的に離れられる場所があること自体が大事でした。
一方で、安全基地という言葉には、安心して戻れる場所があるからこそ外の世界に挑戦できる、という意味があります。甘やかしではなく、挑戦の土台になるものです。子どもにとって親がその役割を果たすことがあるように、自分にとってはゲームが、その一部を担っていたのだと思います。
14歳くらいで親と離れて親戚の家で暮らすことになってからは、人とのつながりの薄さを強く感じるようになりました。そうした中で、ゲームは昔から触れてきたぶん、自分にとって数少ない「戻れる場所」になっていたのかもしれません。
RPGの物語世界に救われた
子どもの頃からよく遊んでいたのは、RPGやアドベンチャーゲームでした。高校時代に印象に残っている作品としては、『キングダム ハーツ』が思い出に残っています。
RPGの良さは、物語の世界に入っていけることです。プレイヤーとしてキャラクターを操作し、その世界の中で生きているような感覚を持てる。昔のゲームには主人公の名前を自分で設定できるものも多く、自分はそこに本名を入れて遊んでいました。そうすると、嫌だった現実の世界から少し距離を置いて、別の場所で呼吸をし直せるような感覚がありました。
新作ゲームの発売も、当時の自分にとっては希望のひとつでした。「このゲームが出るまでは頑張ろう」と思えるだけでも、先の見えない日々を少しつなぐことができました。ネットが今ほど身近ではない時代だったからこそ、ゲームの中の世界や、その周辺でつながれる小さなコミュニケーションも大切な支えになっていました。
現実から何を避けたかったのか
ゲームを通して何から逃げていたのかと考えると、やはり現実の中で「自分にはこれがある」と思えるものが少なかったことが大きかったです。勉強が特別できるわけでもなく、運動が得意なわけでもなく、絵や字に自信があるわけでもない。そうすると、自分の輪郭が見えにくくなります。
そんな中で、ゲームは数少ない得意なことのひとつでした。もちろん、上を見ればきりがない世界です。でも、少なくとも自分の中では成立していた。だからこそ、逃避先としての割合は大きかったと思います。それでも、その逃避があったからこそ、高校生活を何とかやり過ごせたのも事実です。
繰り返し遊べることの安心感
ゲームには、現実にはない安心感があります。失敗してもやり直せること。何度でも挑戦できること。少しずつ攻略法が見えてきて、自分なりに前へ進めることです。
RPGでは、キャラクターが成長していく過程に、自分自身も少しずつ前に進めているような感覚を重ねることができました。怖さがあっても挑戦してみる。負けても再挑戦する。その積み重ねが、当時の自分には大きかったのだと思います。
また、ゲームを何度も遊べること自体にも意味がありました。たくさんソフトを買える環境ではなかったので、一度クリアした作品を2周、3周と繰り返して遊んでいました。同じ作品でも、時間を置いて触れると違う発見があります。先が分かっているからこその安心感もあり、疲れている時ほど、その感覚に救われることがあります。
大人になってから増えた安全基地
今は、ゲームからの延長線上でゲーム系のポッドキャストやYouTubeを続けています。コメントなどで嫌な思いをしたことがまったくないわけではありませんが、全体としてはポジティブな経験の方が多く、ゲームを通したつながりや場そのものが、安全基地のひとつになっています。
ただ、ゲームだけにすべてを預けるのは危うさもあります。大人になるほど、家族、友人、仕事、別の趣味など、複数の安全基地を持てた方が生きやすくなると思います。ゲームはその中の大切なひとつであって、それ以外にも戻れる場所があることが、心の余白につながるのではないでしょうか。
もし自分が高校時代にゲームをやっていなかったら、どうなっていたのかは正直分かりません。読書という道もあったかもしれません。ただ、RPGを通して物語やキャラクターに触れ、想像し、自分で操作しながら世界に入っていく体験は、ゲームならではの価値だったと感じています。
しんどい時に持っていていいもの
生きるのがしんどい時や、学校に行きたくない時、大人になってからも生きづらさを感じる時があります。そういう時に、ゲームでも、ポッドキャストでも、ブログでも、自分が少し呼吸しやすくなる媒体や場所を持っておくことは、とても大事だと思います。
自分が触れやすい形で、挑戦しやすい形で、どこかにひとつアンカーを打っておく。それだけでも、毎日を少し生きやすくしてくれるかもしれません。今回の話は、ゲームが良いか悪いかを単純に決めるものではなく、自分にとってどんな役割を果たしてきたのかを見つめ直す時間でもありました。
最近遊んでいるゲームと活動の近況
後半では近況についても少し話しました。ゲーム系ポッドキャスト『ゲームすっきゃねん』のパーソナリティのひとり、ひげもとさんの個人番組『ひびもと』にゲスト出演させてもらったことは、とても印象に残っています。普段聞いている声と一緒に収録するのは不思議な感覚もありつつ、とても楽しい時間でした。
8/26(水)ポッドキャスト更新しました
【ゲスト回】kumuさん @kumu_game のゲーム遍歴を聞く!そしてオラにスト6の熱を分けてくれ!の巻#ひびもと
◆こちらからお聴き頂けます👂
↓ pic.twitter.com/WfnZryskwn— ひげもと (@hige_no_moto) August 25, 2026
ゲーム実況では『俺の屍を越えてゆけ』をクリアしました。繰り返しの中で一族を強くしていく構造がとても面白く、自分に合う作品でした。『Coffee Talk 2』もクリアし、今は『逆転裁判1・2・3』を少しずつ進めています。さらに、『ストリートファイター6』も引き続き遊んでいて、視聴者の方が作ってくださったDiscordサーバーでの交流も始まっています。
今後は、東京ゲームショウや大阪インディーゲームサミットにも足を運ぶ予定です。ゲームを通して広がった今の活動や出会いを思うと、子どもの頃にゲームに救われていた時間も、今につながる大事な土台だったのだと感じます。
AIの感想
このエピソードの面白さは、ゲームを単なる娯楽としてではなく、「どう生きのびてきたか」という実感に結びつけて語っているところにあります。逃避先という言葉には弱さの響きもありますが、この回ではそれを否定せず、むしろ必要な避難場所だったと丁寧に見つめているのが印象的でした。ゲームが人を甘やかすのではなく、時に壊れずに明日へ向かうための土台になる。その視点は、多くのリスナーにとって静かな励ましになるはずです。しんどい時に自分をつなぎとめるものを持っていていいのだと、やさしく背中を押してくれる回でした。
視聴方法
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